2008年12月15日月曜日

「バリでの出来事」


 少し前にBSで、放送されていた韓国ドラマ「バリでの出来事」(制作年度2004年)で気になるシーンがあった。

 ヒロインは「ファン・ジニ」を演じていたハ・ジォンで、貧しい、「普通」の娘スジョンの役。彼女をめぐる3角関係、いや4角関係の物語なのだけれど、終盤で、彼女が一緒に「楽園」へと逃げだすイヌクという男が自分の荷物をまとめるシーンで手にした1冊の本の題名が字幕で表示される。それは、「グラムシのヘゲモニー論」!
(なにしろ一瞬のことなので、正確ではないかも。いずれにしろ、アントニオ・グラムシの、獄中ノート「現代の君主」関係の著作。日本では著作集は絶版。)
ドラマの内容と本の内容は関係があるとは思われない。その映像、字幕が、唐突に一瞬流れた。
 それに籠められた強いメッセージがあるのだろうか? いま、韓国はどうなっているのだろう、そう思わずにはいられなかった。
 ちなみに、番組案内によると、このドラマは韓国では平均視聴率30%を記録したという。(末尾に掲載)

 1976年に出版された「韓国の経済」(隅谷三喜男著、岩波新書)を、当時、読んで、その経済成長の光と影、低賃金、経済的「従属」、危機迫る経済といった状況を知って暗い気持ちになったことを覚えている。
 それから、随分と年月が経った。しかし、最近というか、ドラマを見たのと同じ時期のメルマガの「大前研一一ニュースの視点」(2008/10/10  #231)で次のような指摘を目にした。
 「欧州にも増して厳しい局面を迎えているのが、韓国とロシア
 だと思います。
 韓国について私は何度も指摘していますが、韓国経済
 そのものが痛んでいます。見かけ上は順調に見えても、
 実体経済が伴っていないのです。
 皮肉なことですが、こうした私の指摘がようやく認知される
 形になり、10月2日、韓国ウォンは前日比36.5ウォン安の
 1ドル1223.5ウォンまで下落しました。
 年初には1ドル900ウォンから950ウォンの水準だった
 わけですから、この9ヶ月で25%近く急落したことになります。
 目下のところ、ウォン下落の歯止めがかからない状態です。
 この状態は、考え方によっては97〜98年の韓国危機の時
 よりもさらに深刻な事態だと言えると思います。」

 いま、韓国はどうなっているのだろう?

 そして、日本は?
 非正規雇用労働者が全体の3分の1にまで達するという。そのほとんどは正規雇用労働者の半分どころか3分の1以下、5分の1程度の低劣な賃金、労働条件で働いているのではないか。そして、いま、世界的な不況の嵐を受け始めている。
 どうして、このようになったのか?
 このような日本の社会を作ったのは誰なのだろう?
 そして、どう、解決していったらいいのか?
 
 「バリでの出来事」のヒロイン、スジョンや、その他の登場人物が、翻弄される世界の中で見る夢は、私たちの夢でもあるように思う。


(資料)
「チョ・インソン、ソ・ジソブが大ブレイクした伝説のドラマ「バリでの出来事」。バリで偶然出会ってしまった4人の男女が繰り広げる泥沼の愛を描いたこのドラマは、“1度見たら必ずハマる”と言われ、韓国では“バリラバー”と呼ばれる熱狂的ファンをも生み出した話題の作品だ。チョ・インソン演じるわがまま御曹司ジェミンと、ソ・ジソブ演じる貧しい好青年イヌクとの間で心揺れる貧しいヒロイン、スジョン(ハ・ジウォン)。視聴者は彼女のとる行動に毎回ヤキモキし、韓国ではインターネット上でジェミン派、イヌク派の論争が湧き起こったほどだ。平均視聴率も30%を記録。意外な愛の終焉に多くのファンが絶句し、衝撃的ラストシーンはいまだ伝説となっている。またこの作品で、チョ・インソンとハ・ジウォンは、韓国の数ある大賞の中で最も権威のある百想芸術大賞のTVドラマ部門演技大賞を受賞し、人気のみならず、その実力をも高く評価された。」(韓国ドラマ「バリでの出来事」TBSチャンネルオリジナルバージョン |ドラマ・時代劇 番組詳細情報 | TBS CS[TBSチャンネル])

(追記)
ハ・ジウォンが出るというので、たまに観ていただけで知らなかったが、7話と8話で、「階級は中世にだけあるんじゃない。持てるもののヘゲモニーが我々の目と口をふさぐ、そのイデオロギーの中で幸せだというのなら仕方ないが。」とか語るシーンが出てくるとのこと。イヌクの愛読書は「グラムシの獄中ノート」と「グラムシのヘゲモニー論」で、さらに、イヌクはスジョンにグラムシの「獄中ノート」を読むとよく寝れるよといって貸したとのこと! イオクは、私が観た範囲内では、労働運動をすることもない、孤独な青年だったけれど、内容との関係はあったのだ。んーん。
                        (H2O)

2008年11月3日月曜日

Mac のフォント

Mac とウィンドウズが数台ずつ並んでいても、いつも使うのはMac。
サイトの制作もMac で作り、Winで検証という感じです。
Winでレモンのサイトを見ると、がっかりします。
それだけではなく、これじゃ注文は来ないなと思ってしまうほど粗末に見えます。
(もともと粗末なところがないとは言いいませんが)
文書作成においても同じ。他のサイトの閲覧も。
それほどMac の文字表示はきれい。これは、やはり強調しておきたいところ。
Winご使用のかたは、ぜひ、Safari を起動して、インターネットエクスプローラーの画面と見比べてみてください。
その感じが少し分かると思います。
Safari は、Apple のサイトから無料でダウンロードできます。

思考支援ソフトの充実も昔から。前はActa7を愛用していました。
いまはOmniOutliner 。標準添付されていました。そして、Tree,これが最高! 素晴らしいソフトだ。ヒラギノフォント、それにアンチエイリアスの技術、いまMacを使う喜びを感じるのは、実はVista を使っているときです。

そうはいっても、Win でしか動かないソフトも少なくなく、プログラミングのときのエディターもWin には優れたものがあります。


でも、わたしはMac を使ってしまいます。
(Vista もMac の中に入れて切り替えで使っています。)

2008年10月24日金曜日

ゼルダの手紙



夏に、「檸檬文書」の「言葉の散歩道」で紹介した「ゼルダの手紙」。
F・スコット・フィッツジェラルドがゼルダの言葉から強いインスピレーションを受けていたと同じように、わたしも初めて読んだときは強く惹きつけられました。もう一度、ここで紹介させてください。


 わたしは美しい絵や立派な書物よりも、薄暮の庭園や蛾の匂いを嗅ぐことのほうが好きだわ——これこそ最も官能的な感覚だって感じがしますもの——ほの暗い、夢のような匂いを嗅ぐと、胸のなかで何かが震えるような気持ちよ——薄れゆく月や影の匂い——
 わたしは今日一日を墓地で過ごしたのよ——墓地というより地下納骨所ね。丘の中腹にあって、鉄の扉が錆びかかっているんだけど、それをあけてみようと思ったの。水気の多い、まるで死人の目の中から生えてきたような青い花が、その納骨所をおおっていたわ——さわるとねばねばして、胸の悪くなるような匂いがするの——男の子たちが納骨所に入りたがったのは、わたしの勇気を今夜試してみたかったからなのよ——(略) なぜ人はお墓を見ると空しさを感じるというのかしら? そういう話はいやになるほど聞かされているし、詩人のグレイももっともらしく詩に書いているけど、でもわたしは、一生を終えたということになんら空しさは感じないわ——壊れた円柱、組み合わされた手、鳩、天使などは、どれもロマンスを思わせるものばかりですもの——わたしは百年後の青年たちに、生前のわたしの目は茶色だったのか、それとも青色だったのか、推測して欲しいと思っているのよ——もちろんわたしの目はそのどちらでもありませんけど——わたしのお墓には、むかしむかしの雰囲気がただよっていて欲しいわ——一列にずらりと並んだ南部軍兵士のお墓のうちで、その二つか三つだけが死んだ恋人や過去の恋のことを思い起こさせるなんて、おかしなことだとお考えにならない? だって、それらのお墓はみなお互いにそっくりなのよ、黄ばんだ苔にいたるまでね。年月のたった死は本当に美しいわ——非常に美しいわ——わたしたちは一緒に死ぬことになるのよ——わたしには判っているの——
いとしい人                     (ゼルダ)
     

 (「ゼルダ—愛と狂気の生涯—」ナンシー・ミルフォード著 大橋吉之助訳 新潮社)    

2008年10月18日土曜日

2008年10月17日金曜日

粥はうまい

 ごく私的なこと。高校の頃の校長は、ふつう月曜日の全校朝礼の際の挨拶等を通してくらいしかその人間性を知る機会はない。それまで人生で出会った教師で尊敬できる人は二人くらい、いや一人かもというところだった。その校長を、わたしは内心、尊敬していた。生徒に話しかける姿勢や内容に真実を感じていたからだ。東北の田舎の高校で、多くの生徒は豊かとはいえない家庭環境にあった。
 あるとき、その校長が、それを知った上で、進学について「親のすねをかじりなさい。そして勉強しなさい。」と言った。それは自分の当面の問題の核心を突いていたので、いまでも心に残っている。親は粥をすすっても子が勉学するのを望むはず、その親を見て勉学に励めということだ。
 その後のことを言うと、自分にはそれがどちらも中途半端で、できなかったのである。進学したものの、学業という点では中途半端な結果に終わったような悔いが残った。時代はベトナム戦争が激化し、学園内外でも紛争が続いていた頃である。この渦中で勉学だけというのもどんなものか、ということはあるが。
 わたしは29歳で結婚した。結婚前に話をする中で妻は、家業の不振からしぶる親に「大学へやるのは親の務めだ」と言ったという。泣きながら言ったのであろう。わたしは、そうした直截に感情を表わしてものを言えることをうらやましいと思った。(入学後はバイトに励んだようだ。勉学の方ではなく。)
 いま、自分の子どもが社会への入口の前に、岐路に立っている。そして、今度は親の立場で、あの校長の言葉を思い出す。 (H2O)