2013年1月23日水曜日

ブログ Lemon & Bitter へ

twitter が主になり、このブログはご無沙汰です。 こんど、写真ブログを開設しました。 ぜひ、見に来てください。 「1月の花のことば」掲載しています。  R-D1x で撮った写真を大きくのせています。    Lemon & Bitter  http://bitterbeer.blog.fc2.com/

2011年4月18日月曜日

ホロコーストからガザへ

「ホロコーストからガザへ パレスチナの政治経済学」サラ・ロイ(青土社)


この本を読む前と読んだ後では、パレスチナーイスラエル問題、ユダヤ人に対する認識が大きく違ってくる。
それだけ読むことにずしりと手応えを感じる本だ。これが日本で出版されたことに誇りを感じる。そう思わせる。
ぜひ、多くの人に読んでほしい。


集会の参加者からの質問に答えるサラ:

「私にとって神とは何なのか」というのはそれとしていい質問だとは思います。しかしいま世界中にあるこのような痛みや苦しみを考えたとき、われわれがより問うべきことは、われわれこそが神にとって何者なのか、私は神にとって何者であるのか、ということではないでしょうか。」

アスベストを使用禁止に

被災地のアスベスト対策はどうなっているのだろう?
日本では規制を段階的に進めているものの、アスベストの生産、製品の使用は禁じていない。
廃棄の規制をある程度しても、地震のときはアスベストの惨禍を防げない。

最低でも測定、マスクの使用が必要だが、そうした情報は皆無。応援する海外に人々への情報提供もない状態になっていると思う。

被災地の人々、子どもたちにマスクを!

アスベストの使用を禁止させよう!

2010年12月30日木曜日

時代に負けない、加齢に負けない


1年間更新をさぼっていました。語るべき事柄、心に深く刻まれた事柄はたくさんあります。でも、それを語ることはしませんでした。

どうして?

それは、あなたにも経験があるのではないでしょうか?
ひとつだけ挙げておくと、語るべき人を思い浮かべられなくなったことがあります。

最近、飲むたびに言っているのは、時代に負けないこと、加齢に負けないこと、です。

闘うべきことがあるのに、それを避けて通り過ぎないこと(できれば痛快にやりたい!)。 喜ぶべきことがあれば、大いに喜ぶこと。悲しいことがあれば、悲しむこと。それが自然にひいていくまで。

これからは、そのように生きることの表現として書いていきたいと思います。

ドロン

2009年3月16日月曜日

矢野誠一「人生読本 落語版」

最近、読んだ本で、お気に入りのもの。

「私は落語から多くのことを教えられた。けっして世のため、ひとのためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送るすべを学んできた。古今亭志ん生がしばしば口にした、
『こんなこと学校じゃ教えない』
このひと言は、まさに教育の妙諦で、その意味でも八代目桂文楽、五代目柳や小さんなどなど綺羅星のごとく並んだあの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。」

「……それにつけてもと思うのだ。
 大世紀末を、前倒しならぬ後倒ししたような、昨今の地に墮ちた世情を見せつけられると、石油を使うことなく、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁の、不便で貧しくはあってもこころ豊だった落語の世界から、あらためて人生を学びなおしてもいいのではあるまいか。」

私は、それらに、たいした価値を見つけることができなかった。時代背景も、登場するする人々も。そこで起きる出来事も、その物語も。
この本で、それが誤りだったことに気づいた。

帯には、こう書いてある。
「落語には、現代人が忘れた素朴な真実がギッシリ!」

そう思う。この本の語りも、なかなかいい。暗い気持ちのときでも、読むと、つい、吹きだす。えらいな。

矢野誠一「人生読本 落語版」(岩波新書)

                              (H2O)

2009年3月8日日曜日

サラ・ロイ 「ガザが語る、パレスチナの将来」

もちろん、目をつぶって通り過ぎることはできる。
自分が生きている場所で起きている問題のほうが大事だ。

そうだ。そうに違いない。
しかし、パレスチナ、そこで起きているのは、あまりにも残虐な抑圧、暴力の行使だ。

サラ・ロイ。 ハーバード大学中東研究所上級研究員。ガザで長年、フィールドワークを行いながら被占領地の社会経済的構造分析で業績を上げてきた。ホロコーストのサバイバーを両親に持つ。
2009年3月7日、彼女の講演「ガザが語る、パレスチナの将来─イスラエルによる占領を読み解く」に参加した。麻布台セミナーハウス大会議室は満席だった。

彼女は、オスロ合意後、イスラエルの占領政策により、破壊されてきたガザの経済、社会の状況を静かに語る。

私が忘れられない一枚の写真。2004年10月6日朝、ガザのラファで登校途中、イスラエル兵によって射殺された13歳の少女の遺体。撃たれて倒れた後も、間近から、自動に切り替えた銃で弾がつきるまで撃たれ続けた。同じ頃、ジャバリヤの15歳の少女は、母親と一緒にパンを焼いていたときに、スナイパーによって額を打ち抜かれた。サラなら、おそらく、この何百倍、何千倍もの、悲惨な出来事を記憶に刻み続けていることだろう。そして、ガザの人々にとっては、それが日常だ。
今回のガザ侵攻によっても、家から引き出され、子どもの目の前で親たちが殺された。子どもたちも、たくさん 死んだ。狙い撃ちにされ、破壊されたいくつもの病院。避難所になっていた学校は戦車で砲撃された。

「パレスチナ人たちが殺されているときにどのように自分のユダヤ性を祝おうというの か?」
「私は25年近くガザ地区やパレスチナ人と関わってきているが、今日にいたるまで、焼かれた子どもの映像などという恐ろしいものを目の当たりにしたことはなかった。だが、パレスチナ人らにとって、それはたんなる映像ではなく現実なのだ。」
「誰かの土地や家や生活を奪うこと、誰かの主張を唾棄すること、誰かの感情を踏みにじることはありうるだろう。だが、誰かの子どもをバラバラにするという のはそれとはまったく別次元のことだ。やり直すことが否定され、あらゆる可能性が潰えた社会は、その後どうなってしまうのか。」(「イスラエルのガザでの「勝利」には法外な対価がつく」)

サラの問いを、なぞることですむわけではない。

日本は、今後数年間で170億円の支援を表明しているが、その援助の内容については、占領政策を後押しするだけで、パレスチナ経済の分断破壊をいっそう推し進め、占領の構造を強化する結果になるおそれがあるとの指摘がある。(「和平」プロセスが、平和を遠ざける(小田切拓)「世界」2008.10)

「消滅」のための、巧緻で、おぞましいプログラム。

平和や人間性への希望を求めるために、そこで起きていることを見つめ、問い続けること。そうした問題としてパレスチナの現実から目を背けないこと。たとえ、苦痛をともなっても。

悲惨と向かい合い続けるサラ。人間性への一つの小さな希望の光り。
                              (SayYes)        

2008年12月15日月曜日

「バリでの出来事」


 少し前にBSで、放送されていた韓国ドラマ「バリでの出来事」(制作年度2004年)で気になるシーンがあった。

 ヒロインは「ファン・ジニ」を演じていたハ・ジォンで、貧しい、「普通」の娘スジョンの役。彼女をめぐる3角関係、いや4角関係の物語なのだけれど、終盤で、彼女が一緒に「楽園」へと逃げだすイヌクという男が自分の荷物をまとめるシーンで手にした1冊の本の題名が字幕で表示される。それは、「グラムシのヘゲモニー論」!
(なにしろ一瞬のことなので、正確ではないかも。いずれにしろ、アントニオ・グラムシの、獄中ノート「現代の君主」関係の著作。日本では著作集は絶版。)
ドラマの内容と本の内容は関係があるとは思われない。その映像、字幕が、唐突に一瞬流れた。
 それに籠められた強いメッセージがあるのだろうか? いま、韓国はどうなっているのだろう、そう思わずにはいられなかった。
 ちなみに、番組案内によると、このドラマは韓国では平均視聴率30%を記録したという。(末尾に掲載)

 1976年に出版された「韓国の経済」(隅谷三喜男著、岩波新書)を、当時、読んで、その経済成長の光と影、低賃金、経済的「従属」、危機迫る経済といった状況を知って暗い気持ちになったことを覚えている。
 それから、随分と年月が経った。しかし、最近というか、ドラマを見たのと同じ時期のメルマガの「大前研一一ニュースの視点」(2008/10/10  #231)で次のような指摘を目にした。
 「欧州にも増して厳しい局面を迎えているのが、韓国とロシア
 だと思います。
 韓国について私は何度も指摘していますが、韓国経済
 そのものが痛んでいます。見かけ上は順調に見えても、
 実体経済が伴っていないのです。
 皮肉なことですが、こうした私の指摘がようやく認知される
 形になり、10月2日、韓国ウォンは前日比36.5ウォン安の
 1ドル1223.5ウォンまで下落しました。
 年初には1ドル900ウォンから950ウォンの水準だった
 わけですから、この9ヶ月で25%近く急落したことになります。
 目下のところ、ウォン下落の歯止めがかからない状態です。
 この状態は、考え方によっては97〜98年の韓国危機の時
 よりもさらに深刻な事態だと言えると思います。」

 いま、韓国はどうなっているのだろう?

 そして、日本は?
 非正規雇用労働者が全体の3分の1にまで達するという。そのほとんどは正規雇用労働者の半分どころか3分の1以下、5分の1程度の低劣な賃金、労働条件で働いているのではないか。そして、いま、世界的な不況の嵐を受け始めている。
 どうして、このようになったのか?
 このような日本の社会を作ったのは誰なのだろう?
 そして、どう、解決していったらいいのか?
 
 「バリでの出来事」のヒロイン、スジョンや、その他の登場人物が、翻弄される世界の中で見る夢は、私たちの夢でもあるように思う。


(資料)
「チョ・インソン、ソ・ジソブが大ブレイクした伝説のドラマ「バリでの出来事」。バリで偶然出会ってしまった4人の男女が繰り広げる泥沼の愛を描いたこのドラマは、“1度見たら必ずハマる”と言われ、韓国では“バリラバー”と呼ばれる熱狂的ファンをも生み出した話題の作品だ。チョ・インソン演じるわがまま御曹司ジェミンと、ソ・ジソブ演じる貧しい好青年イヌクとの間で心揺れる貧しいヒロイン、スジョン(ハ・ジウォン)。視聴者は彼女のとる行動に毎回ヤキモキし、韓国ではインターネット上でジェミン派、イヌク派の論争が湧き起こったほどだ。平均視聴率も30%を記録。意外な愛の終焉に多くのファンが絶句し、衝撃的ラストシーンはいまだ伝説となっている。またこの作品で、チョ・インソンとハ・ジウォンは、韓国の数ある大賞の中で最も権威のある百想芸術大賞のTVドラマ部門演技大賞を受賞し、人気のみならず、その実力をも高く評価された。」(韓国ドラマ「バリでの出来事」TBSチャンネルオリジナルバージョン |ドラマ・時代劇 番組詳細情報 | TBS CS[TBSチャンネル])

(追記)
ハ・ジウォンが出るというので、たまに観ていただけで知らなかったが、7話と8話で、「階級は中世にだけあるんじゃない。持てるもののヘゲモニーが我々の目と口をふさぐ、そのイデオロギーの中で幸せだというのなら仕方ないが。」とか語るシーンが出てくるとのこと。イヌクの愛読書は「グラムシの獄中ノート」と「グラムシのヘゲモニー論」で、さらに、イヌクはスジョンにグラムシの「獄中ノート」を読むとよく寝れるよといって貸したとのこと! イオクは、私が観た範囲内では、労働運動をすることもない、孤独な青年だったけれど、内容との関係はあったのだ。んーん。
                        (H2O)