2008年10月17日金曜日

粥はうまい

 ごく私的なこと。高校の頃の校長は、ふつう月曜日の全校朝礼の際の挨拶等を通してくらいしかその人間性を知る機会はない。それまで人生で出会った教師で尊敬できる人は二人くらい、いや一人かもというところだった。その校長を、わたしは内心、尊敬していた。生徒に話しかける姿勢や内容に真実を感じていたからだ。東北の田舎の高校で、多くの生徒は豊かとはいえない家庭環境にあった。
 あるとき、その校長が、それを知った上で、進学について「親のすねをかじりなさい。そして勉強しなさい。」と言った。それは自分の当面の問題の核心を突いていたので、いまでも心に残っている。親は粥をすすっても子が勉学するのを望むはず、その親を見て勉学に励めということだ。
 その後のことを言うと、自分にはそれがどちらも中途半端で、できなかったのである。進学したものの、学業という点では中途半端な結果に終わったような悔いが残った。時代はベトナム戦争が激化し、学園内外でも紛争が続いていた頃である。この渦中で勉学だけというのもどんなものか、ということはあるが。
 わたしは29歳で結婚した。結婚前に話をする中で妻は、家業の不振からしぶる親に「大学へやるのは親の務めだ」と言ったという。泣きながら言ったのであろう。わたしは、そうした直截に感情を表わしてものを言えることをうらやましいと思った。(入学後はバイトに励んだようだ。勉学の方ではなく。)
 いま、自分の子どもが社会への入口の前に、岐路に立っている。そして、今度は親の立場で、あの校長の言葉を思い出す。 (H2O)

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