2009年3月16日月曜日

矢野誠一「人生読本 落語版」

最近、読んだ本で、お気に入りのもの。

「私は落語から多くのことを教えられた。けっして世のため、ひとのためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送るすべを学んできた。古今亭志ん生がしばしば口にした、
『こんなこと学校じゃ教えない』
このひと言は、まさに教育の妙諦で、その意味でも八代目桂文楽、五代目柳や小さんなどなど綺羅星のごとく並んだあの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。」

「……それにつけてもと思うのだ。
 大世紀末を、前倒しならぬ後倒ししたような、昨今の地に墮ちた世情を見せつけられると、石油を使うことなく、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁の、不便で貧しくはあってもこころ豊だった落語の世界から、あらためて人生を学びなおしてもいいのではあるまいか。」

私は、それらに、たいした価値を見つけることができなかった。時代背景も、登場するする人々も。そこで起きる出来事も、その物語も。
この本で、それが誤りだったことに気づいた。

帯には、こう書いてある。
「落語には、現代人が忘れた素朴な真実がギッシリ!」

そう思う。この本の語りも、なかなかいい。暗い気持ちのときでも、読むと、つい、吹きだす。えらいな。

矢野誠一「人生読本 落語版」(岩波新書)

                              (H2O)

2009年3月8日日曜日

サラ・ロイ 「ガザが語る、パレスチナの将来」

もちろん、目をつぶって通り過ぎることはできる。
自分が生きている場所で起きている問題のほうが大事だ。

そうだ。そうに違いない。
しかし、パレスチナ、そこで起きているのは、あまりにも残虐な抑圧、暴力の行使だ。

サラ・ロイ。 ハーバード大学中東研究所上級研究員。ガザで長年、フィールドワークを行いながら被占領地の社会経済的構造分析で業績を上げてきた。ホロコーストのサバイバーを両親に持つ。
2009年3月7日、彼女の講演「ガザが語る、パレスチナの将来─イスラエルによる占領を読み解く」に参加した。麻布台セミナーハウス大会議室は満席だった。

彼女は、オスロ合意後、イスラエルの占領政策により、破壊されてきたガザの経済、社会の状況を静かに語る。

私が忘れられない一枚の写真。2004年10月6日朝、ガザのラファで登校途中、イスラエル兵によって射殺された13歳の少女の遺体。撃たれて倒れた後も、間近から、自動に切り替えた銃で弾がつきるまで撃たれ続けた。同じ頃、ジャバリヤの15歳の少女は、母親と一緒にパンを焼いていたときに、スナイパーによって額を打ち抜かれた。サラなら、おそらく、この何百倍、何千倍もの、悲惨な出来事を記憶に刻み続けていることだろう。そして、ガザの人々にとっては、それが日常だ。
今回のガザ侵攻によっても、家から引き出され、子どもの目の前で親たちが殺された。子どもたちも、たくさん 死んだ。狙い撃ちにされ、破壊されたいくつもの病院。避難所になっていた学校は戦車で砲撃された。

「パレスチナ人たちが殺されているときにどのように自分のユダヤ性を祝おうというの か?」
「私は25年近くガザ地区やパレスチナ人と関わってきているが、今日にいたるまで、焼かれた子どもの映像などという恐ろしいものを目の当たりにしたことはなかった。だが、パレスチナ人らにとって、それはたんなる映像ではなく現実なのだ。」
「誰かの土地や家や生活を奪うこと、誰かの主張を唾棄すること、誰かの感情を踏みにじることはありうるだろう。だが、誰かの子どもをバラバラにするという のはそれとはまったく別次元のことだ。やり直すことが否定され、あらゆる可能性が潰えた社会は、その後どうなってしまうのか。」(「イスラエルのガザでの「勝利」には法外な対価がつく」)

サラの問いを、なぞることですむわけではない。

日本は、今後数年間で170億円の支援を表明しているが、その援助の内容については、占領政策を後押しするだけで、パレスチナ経済の分断破壊をいっそう推し進め、占領の構造を強化する結果になるおそれがあるとの指摘がある。(「和平」プロセスが、平和を遠ざける(小田切拓)「世界」2008.10)

「消滅」のための、巧緻で、おぞましいプログラム。

平和や人間性への希望を求めるために、そこで起きていることを見つめ、問い続けること。そうした問題としてパレスチナの現実から目を背けないこと。たとえ、苦痛をともなっても。

悲惨と向かい合い続けるサラ。人間性への一つの小さな希望の光り。
                              (SayYes)