2008年10月24日金曜日

ゼルダの手紙



夏に、「檸檬文書」の「言葉の散歩道」で紹介した「ゼルダの手紙」。
F・スコット・フィッツジェラルドがゼルダの言葉から強いインスピレーションを受けていたと同じように、わたしも初めて読んだときは強く惹きつけられました。もう一度、ここで紹介させてください。


 わたしは美しい絵や立派な書物よりも、薄暮の庭園や蛾の匂いを嗅ぐことのほうが好きだわ——これこそ最も官能的な感覚だって感じがしますもの——ほの暗い、夢のような匂いを嗅ぐと、胸のなかで何かが震えるような気持ちよ——薄れゆく月や影の匂い——
 わたしは今日一日を墓地で過ごしたのよ——墓地というより地下納骨所ね。丘の中腹にあって、鉄の扉が錆びかかっているんだけど、それをあけてみようと思ったの。水気の多い、まるで死人の目の中から生えてきたような青い花が、その納骨所をおおっていたわ——さわるとねばねばして、胸の悪くなるような匂いがするの——男の子たちが納骨所に入りたがったのは、わたしの勇気を今夜試してみたかったからなのよ——(略) なぜ人はお墓を見ると空しさを感じるというのかしら? そういう話はいやになるほど聞かされているし、詩人のグレイももっともらしく詩に書いているけど、でもわたしは、一生を終えたということになんら空しさは感じないわ——壊れた円柱、組み合わされた手、鳩、天使などは、どれもロマンスを思わせるものばかりですもの——わたしは百年後の青年たちに、生前のわたしの目は茶色だったのか、それとも青色だったのか、推測して欲しいと思っているのよ——もちろんわたしの目はそのどちらでもありませんけど——わたしのお墓には、むかしむかしの雰囲気がただよっていて欲しいわ——一列にずらりと並んだ南部軍兵士のお墓のうちで、その二つか三つだけが死んだ恋人や過去の恋のことを思い起こさせるなんて、おかしなことだとお考えにならない? だって、それらのお墓はみなお互いにそっくりなのよ、黄ばんだ苔にいたるまでね。年月のたった死は本当に美しいわ——非常に美しいわ——わたしたちは一緒に死ぬことになるのよ——わたしには判っているの——
いとしい人                     (ゼルダ)
     

 (「ゼルダ—愛と狂気の生涯—」ナンシー・ミルフォード著 大橋吉之助訳 新潮社)    

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